松山櫨とは

福岡県久留米市田主丸町(当時竹野郡)亀王村の大庄屋・竹下武兵衛周直が発見した櫨の一品種。

農学者大蔵永常の大著「農家益」において、7種の銘柄のうち「松山種を最上とする」と賞された程の逸品で、九州北部全域に広まりました。

「松山櫨」の「松山」とは、現在の同町森部地域を指す場所の名前だと考えられています。

苦しみの中から生まれた松山櫨

享保17年(1732)、有名な江戸三大飢饉のひとつ「享保の大飢饉」が西日本一帯を襲いました。

福岡県久留米市(旧久留米藩)の大庄屋・竹下武兵衛周直は、櫨こそ、苦しむ農民達を救う光明であると櫨栽培の技術書「農人錦の嚢」を記します。

その後、宝暦年間に、地元・耳納山の中腹で松山櫨を発見し、苗木生産に成功しました。

名品種「松山櫨」の復活へ

時代と共に櫨産業は衰退。松山櫨による蝋生産も絶えてしまいました。名品種・松山櫨がこのまま消えてしまうのは、あまりに惜しまれてなりません。

失われた松山櫨を復活させたいとの願いから、平成19年に松山櫨復活委員会が発足しました。

 

櫨のサイクル

幕末・明治をピークに櫨の実の生産量は激減しました。今では製蝋業を全国でもわずかです。そのため当委員会では、櫨を植栽し、櫨の商品を作り、販売するという櫨のサイクルを提唱してきました。

 

当委員会では平成21年より「眞櫨和ろうそく」、「眞櫨きゃんどる」、「櫨蝋のワックス」など、オリジナル商品を開発・販売を行っている他、櫨の良さをアピールするために、櫨キャンドル作りワークショップや、和ろうそくディナーなどのイベントも行っています。